zattanikka’s diary

肥満の父、腐女子の母、オタクの兄、軟便気味の私による四人組ロックバンド

Bring The Soul

【注意】この記事には映画「Bring The Soul」内のコメントや構成に触れる部分があります。そしてコメントを100%覚えきれていない部分があり、意訳や記憶違いをしている部分がある可能性があります。この記事はあくまでも備忘録です。これから映画を見る予定で少しのネタバレも許せない方、上記に不信感を抱いた方は読まないことをオススメします。






"簡単な言葉を繰り返し口にしていると、段々とその意味がわからなくなってくる   愛ってなんだろう"/ナムジュン

ニュアンスで伝えていいのかわからない。きっとあまり良くないことなんだろうけれど、私は記憶力を著しく欠いているらしく、この程度の曖昧な記憶で彼らの言葉と共に文章を書き起こしているのがなんとなく、申し訳ない。

Bring the soul the movie
2作目となる防弾少年団のドキュメント映画を見て、なんとなく色々思い返すことがあったからまとめようと思う。

「クリスマスの予定は?」
ジョングクの言葉に「年末のステージだよ」と少し呆れたように返すジンの言葉になんとなく自嘲のようなものを感じた。
「旧盆は?」
「旧盆は〇〇で公演」
彼らが忙しいことなんて今更言葉にするまでもなく当たり前だと思っていた。テレビに映らない日はないというのは正しく彼らと大泉洋のためにあるような言葉で、日本でもFMラジオをかければ結構な頻度で曲が流れていたりする。
それでもBighitは他事務所よりは幾分ホワイトで、たまの休暇に羽を伸ばすメンバーの姿を見る度に"彼らも休暇を楽しんでいるんだな"と笑みをほころばせていた。
そんな彼らだとしても、クリスマスや年末には放送を通して当たり前のように時間を共にしていて、所謂そういったイベントごとはやっぱり無縁なんだよなと改めて思った。
体調管理も自己責任。
社会人としては当たり前の話でも、そんな様子でマイルを満タン貯められるほど世界をひっきりなしに飛び回る彼らにも同じことを強いていいほど、世界は穏やかじゃない。私の熱っぽいと彼らの熱っぽいは、全く重みが違うように思えた。
「クラクラする?」
そう声をかけられても、声すら出せず力なく頷くテヒョンに言葉が出なかった。風邪気味の喉のせいで高音が掠れて音にならなかった瞬間に顔を見合わせたジミンは、なんとも言えないバツが悪そうな鋭い目をしていた。
普段なら伸びやかな甘い低音がしんと響くパートにはぽっかりと穴が空いていて、その穴を埋めるようにそこにいたテヒョンの悔しそうな顔ととめどない涙に、どうしてファンである私達がその涙を止めてやることが出来ないんだろうと歯がゆかった。
ジョングクがかかとに怪我を負ってパフォーマンスが出来なかった期間、その時の記憶が少し甦った。
あの時私はきっと、ファンの目線でしか見れていなかった。本当の意味でジョングクを心配出来ていなかった。
勿論、怪我を負ったことに心を痛めたし心配もした。そこに嘘偽りはない。
ただ、私は「また次があるよ」「今度は上手くやろう」そう思っていた気がする。
ファンの中には、初めてチケットが当たった人が居たかもしれない。もしかしたらその公演が人生の中で行ける最後のライブだった人がいたかもしれない。そう思って心を痛めることは出来たのに、それは彼らにとっても同じことなのだと、何故あの時気付けなかったんだろう。
「僕は大丈夫だよ」「痛みはそんなにない」
約3cmの傷を負いながら今にもステージに飛び出そうとするジョングクに「医者に見てもらえ」とピシャリと言い切ったメンバーになんとも言えない苦しさを覚えた。彼らはこうして思い通りに動けない自分を責める姿に、ただ甘やかすだけの言葉をかけられる程アマチュアではない。
「初めてここで公演するのに」
ジョングクのそんな言葉にようやく視野が広がった気がして、本当に私はただファンの一人で、何も見えてなかったことに頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
6人が踊るステージの端、自分のパート以外は歌うことも出来ず、手持ち無沙汰に微動だにしないジョングクを見て涙が止まらなかった。
その悔しさを理解しきることが出来ないことにも、そんなことに今更気づかされたことにも、物事はすべからく有限なのだと忘れていたことにも。
彼らの幸せって、なんなんだろう。
有名になって昼夜無く世界中を飛び回って、体の痛みを騙し騙しやり過ごしている彼らは、本当に幸せなんだろうか。そんなことを考えたりもした。

"僕を、防弾少年団を利用してください。あなたが幸せになるために"/ナムジュン
でも、その言葉が全てのような気がした。
全てってことでいいんじゃないかと思った。
私たちには分からないことが沢山あって、私たちの知らないところで多くの葛藤があって、でも私たちはその隠れた葛藤の裏の輝かしいステージから明日を生きる活力を貰う。
彼らがそれを望むのなら、それこそが私たちの正しい姿勢なんじゃないか。
彼らの見せたくない裏側を無闇に知ろうとしなくてもいい。全ての痛みを共有しなくてもいい。彼らの痛みを知らないように彼らも私たちの痛みを理解しきることなんて出来ないんだから。
少しずつ癒して、傷付いて、立ち止まって、癒されて、自分を愛する方法を知っていければいいんじゃないか。
"母でも妻でもない自分を見つけられた"
"彼らに出会えなかったらここは暗闇だった"
彼らを、彼らの歌を介して、自分を愛する方法を見つける。自分の居場所を見つける。
それが彼らの望む私たちの答えに近しいものなのかもしれない。
それが巡り巡っては、彼らの幸せに繋がるのかもしれない。
そう思うことで、それだけで私たちはいくらでも強くなれる。明日に向かうつま先を大きく前に出すことが出来る。
小さな歯車でも大きな時計を動かすことが出来るんじゃないか。
そう思った。

"愛ってなんだろう"
毎日聞くくせに、確かに分からない。
自分を愛そう。
自分のことなのに、なんでこんなに難しいんだろう。
でも、彼らを"利用すれば"、もしかしたら案外簡単なことなのかもしれない。
自分を知ることも、愛することも。
そんなことを考えさせられる映画だった。

自分を愛せるように、明日の自分が今日の自分を少し誇らしく思えるように、自分自身を変える一歩を踏み出そう。その勇気をくれて、ありがとう。